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Small is of 原宿香禅の会

月々の香会の主題に添えた小さな話をまとめました



 ウグイスとメジロ   23年2月 梅花香

梅の枝にとまる緑色の愛らしい鳥・・・・誰もがイメージする”梅に鶯”の図はこの写真のような景色ではないでしょうか。 ところが現実にはこの美しい抹茶色の鳥はメジロです。 梅の蜜を吸いにおとずれるのはたいていがメジロで、ウグイスはあまり来ないのだそうです。 ウグイス色という色も実際はメジロ色といったほうが正しく、ウグイスの体色は”ウグイス茶”と呼ばれます。 体型もメジロはぽっちゃり、ウグイスは流線型ですね。
 ”梅に鶯” はリアルな光景というよりは、ほのかに梅の香が薫る日、どこからともなく鶯の声がする、ああ、春が来たな・・・・という平安時代の人々の心象風景なのですね。
そしていつしか日本人みなが共有する浅い春の心象風景となったのでしょう。  

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 白梅と紅梅   23年3月 初鶯香

万葉集などでは”ウメ”には ”鳥梅” があてられています。 ”梅” 一字では ”むめ” と読んでいました。 万葉時代、梅を愛でるのは大陸文化に感化された文人たちの嗜好だったようです。 ですが古今の時代になるとさかんに和歌にも詠まれ、宮廷人の梅への愛好は熱烈なものとなっていきました。 
 この頃和歌に詠まれた梅は主に白梅で、紅梅がよく詠まれたのは、朗詠集(漢詩)、そして時代が下って俳句の世界でした。 桃の花しかり、大陸の人たちは濃い色の花を好みますね。
 白梅は紅梅より先に開花するので、春を待ちわびることしきりであった王朝人には何よりの先ぶれであったことでしょう。 しかしながら、紅梅もまた、清少納言が「木の花は濃きも薄きも紅梅」と書いているように、たいそう好まれていた事は確かなようです。 香りも紅梅の方が強いと思われていました。
 凛と清楚な白梅、春のひだまりをおもわせるような優しく匂やかな紅梅、どちらとも選び難い春のしるべですね。  

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 花橘   23年4月 五月香

古今集の時代に詠まれた「橘」は現代の「みかん」とは違うようです。
「枕草紙」に ”花の中よりこがねの玉かと見えて” とあって、花と実を同時に鑑賞しています。 このことから夏みかんか橙の一種に近かったのではと思われます。
  伊勢物語60段に、ある男が、別の男の妻となって再開したかつて自分を置いて去った女に、酒の肴にあった橘の実を手にして、”五月待つ ” の歌を詠んだ、という話があります。 これはいわば本歌どりの歌ならぬ「話」ですが、やはり、実と花が同時にあってこそ成り立つ話です。  

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 戦国武将と香    23年6月 聞香の延

香木が渡来するようになって時代が下がると、それまで貴族階級の楽しみと仏教での供物としてあった香木が、力を持ち始めた武士階級にまで広がるようになりました。
  香木を多く所持することは、武将のステータスシンボルのひとつとなりました。 中でも独特の美意識で戦国時代を生きたことで後世に名を残した佐々木道誉は、香の世界でも名を残しています。 集めた香木から道誉が選んだ ”180種名香” というのが文献に残っています。
  「死」がすぐ隣にあったこの時代の武将たちにとって、”香” の嗜みは単に栄耀栄華の誇示だけが目的ではなかったでしょう。 ひたすら美に耽溺していった道誉の心境を思う時、明日を夢見ることを許されなかった者の「今このとき」への思いの強さを感じないではいられません。 そしておそらく「死の美学」もそこには潜んでいたと私は思います。   

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 七夕と機織り     23年7月 六国星合香

機織り娘の七夕伝説は皆様おなじみだと思います。 今回はちょっと違った視点で七夕と機織りの意味を紹介します。 
  織物は縦糸と横糸を通していくことで出来上がっていきます。 これはものごとの根本の仕組みを整えるという意味に通じます。 素戔嗚命(スサノオノミコト)が天照大神の機織場に死んだ牛を投げ入れて高天原を追放されたのは、ものごとの成り立ちを破壊し、道理を崩してしまったこと(今風にいえば、グレートリセットでしょうか?)への制裁なのです。 
  しかしスサノオは物質文明を牽引していく”牛”です。 牽牛と織女が出会うという意味は文物質文明と精神文明は出会わなければいけないという暗喩です。 そして出会うためにはそれまでに得た知識、そしてその知識から認識している自我を手放さなければいけません。 つまり禊です。 それゆえ、二人が出会うのは”川”でなくてはいけないのです。


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 東西の月との関わり方    23年9月 月見香

月との関わり方は日本人、あるいは東洋と西洋とではずいぶん違うようです。 タロットカードの「月」の解釈がよくそれをあらわしています。  一言でいうなら月は見えないもの、隠れているもの、変わりやすく捉えどころのないもの、という解釈です。 そこから深層心理の領域、あるいは神秘的な分野を意味します。 もう一点は「女性的力」です。 
 「月」はたえず変化してとらえどころがない、その捉えられないということが、事象を言葉で定義したいという西洋の方向性からすると、怖い、怖さが昂じたら心が狂う。 ”lunatic” が端的にそれを言い表していますね。
  多くのデッキの「月」のカードには二つの塔か柱が描かれています。 これは「門」です。 手前には水が描かれ、魚のような水生生物や狼が空しく門にむかっている図が描かれています。「水」は感情、として捉えられているものです。 混沌とした水の世界から定義できる理性の世界への門といったところでしょうか。
  それに反して日本では月は冴え冴えと孤高の空に輝くものです。 満ちては欠け、生と死の無窮の律動をくりかえす自然そのもののの象徴です。 あるものをあるがままに受け止め、そこに生命の神秘、人生のありようを認めるという東洋の心の方向性を感じます。 


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 十炷香   23年10月 十炷香

本来は「札聞き」といって香炉がひとつ回る毎に答えの札を出します。 まったなしでその時の直観を何より大事にして宛てていきます。 そのためには集中力を高め感性を研ぎ澄ませて香にむかわなければなりません。
  各大名家から出た美しい十炷香の道具類を博物館等でご覧になった方もいらっしゃるでしょう。 すべてにおいて美しく完成された組香です。

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  命と引き換えた秀歌   23年11月 時雨香

藤原頼実の ”木の葉散る宿はききわくかたそなき時雨する夜も時雨せぬ夜も” の和歌については逸話が残っています。
  住吉に参詣して「秀歌を詠むことができたら命にかえてもかまいません。」と祈願しました。 そして詠んだのが時雨の和歌です。 後 「秀歌は詠み了んぬ。かの落ち葉の歌に非ずや」と夢にたって言われた。 と、袋草紙に記されています。 頼実は30歳で夭亡したので命と引き換えの秀歌であるとして有名になった歌です。

袋草紙は、1159年以前に成立した歌学書(藤原清輔著)です。 歌会の諸作法、撰集の故実、歌人の逸話などを文献を引用しながら考証的に記されています。 

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